Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(84ー6/7/8)(私家版)

3.12処               眼処、耳処、鼻処、舌処、身処、意処(略称して6内処)、色彩処、音声処、香処、味処、触処、法処(略称して6外処)。この12処は、又別の一体的な分類法であり、先の5処と5浄色は、同じものである。。。                  7から11処までは、5根と所縁が同じてあり、意処は即ち、89種の心を含む。法処と法所縁は異なるもので、法所縁は5浄色、16微細色、心、心所、涅槃、概念などの6種を含む。。、。。。。。             法処は、52心所、16微細色、及び涅槃を含む。。。                12処は非常に重要な修行の法門である。何故12所のが非常に重要なのであるか?というのも全ての煩悩は、全て6外処が6内所に接触することによって発生するからである。。。               仏陀は言う:「…この一切(12処)を遍知することがないならば、人々は、一切の苦を滅する事は出来ない……」        6外処は例えば強盗の様で、6内処は空っぽの村の様である。色彩処は、毎日、眼処(空っぽの村)を襲撃する。目が好ましいものを見ると、貪を生じ、好ましくないものを見ると瞋が生じる。耳も同様であって、心地のよい音を聞くと貪が生じ、喜ばしくない音を聞くと、瞋が生じる。鼻、舌、身も又同様である。仏陀は、目、耳、鼻、舌、身、意処を空っぽの村と比喩しているが、それは、それらが無我である事を言いたい為である。6外処が、6内処を衝撃する時、貪瞋痴が生起しやすい。故に、修行は、6外処が6内処を衝撃するその時に行うのである。6内処は、毎日オープンしており、常々6塵が6根を衝撃している。故に、毎日の一刹那毎が、修行の時である。