Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(90ー1/2)(私家版)

■縁於識、名色生起(識の縁によりて名色が生起する)。。。             この識は、果報識と業識である。ここでは、名色を分けて説明する。先に識の縁によりて名生起する、を解説する。名とは心所の事である。心は単独では生起出来ない。必ず心所が同伴していなければならない。しかし、識は心王であり、先導者であり、識が生起して初めて心所が生起する。結生識と相応するのは、33個の心所(人類の場合)である。識の縁によりて、色が生起する。この色は、業生色である。結生識が生起するその一刻、30個の業生色ーー身10法聚、心10法聚、性根10法聚が当時に生起するが、もし、識が生起しないならば、30個の業生色も又生起する事はない。状況はこの様ではあるが、しかそ、結生識は、これらの色法が生起する為の直接の因ではない。直接の因は、過去の業であり、これを業縁と呼ぶ。識の縁によりて色生起する。識は、助縁に一つにすぎない。ちょうど、果樹に果実が実る時、水分はその中の一個の縁に過ぎないのと同じである。最も重要なのは、種である。。   結生識に上の33個の心所を加え、更に30個の色法を加える。この三種を5蘊と呼ぶ。5蘊は色蘊(色法)及び4個の名蘊ーー受、想、行、識で構成される。名蘊は、心と心所を含み。故に、結生識が母胎の中で生じたその刹那、5蘊(名と色)も又生起し始める。5うんは果報であり、その因はこの一世のものであるはずがない。因と果は、同じ一つの心識刹那に同時に出現する事はないが故に、もし、結生5蘊が果報であるならば、因は必ず過去世の業であるに違いない。これが先に述べた「行の縁によりて識あり」である。。。。       次に、識は如何にして名色の縁になるのか?先程説明したのは、人類にか関してであるが、今は、天神を例に取って説明する。識は結生識の事である。識の縁によりて名(3個の心所)及び70個の色法が生じる。天神は直接化生する為、合計70個の色法を擁する:眼10法聚、耳10法聚、鼻10法聚、舌10法聚、身10法聚、性根10法聚、心(心所依処)10法聚である。