Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(90ー3/4/5)(私家版)

■縁於名色、六処生起(名色の縁によりて六処が生起する)             名は心所で、色は四大である。六処は、眼処、耳処、鼻処、舌処、身処と意処(意処とは心の事である)である。心所が生起すると、心も又共に生起する(というのも、心が生起すれば、心所も生起するが故に)。24縁に基づけば、この種の関係性は、相応縁と呼ぶ。色(四大)の縁によりて眼処、耳処、鼻処、舌処、身処と意処が生起する。前5処は、所造色であり、四大種色の縁によって生起する。。。。。               ■縁於六処、触生起(六処の縁によりて触が生起する)                6つの所縁が6処を衝撃する時、6識が生起する。この三種(所縁、処、識)の集合を触と呼ぶ。触は6種ある:眼触、耳触、鼻触、舌触、身触、意触。触は心所である。。。。。。。。。。                  ■縁於触、受生起(触の縁によりて受が生起する)                                       例えば人の目が宝石を見た時、ある種の受が生起する。受の特徴は体験である。受は非常に重要である。受念処は必ず修行しなければならないものである。。。     受の作用は所縁の体験である。現起(現象)は楽受又は苦受である。近因は触である。触の為に受が生起する。この受こそが、今世又は前世の善悪の果報を体験するのである。受は決して一個の我ではなく、ただ一個の心所である。。。         生起するやたちまち消滅する。又再び生起して、又即刻消滅する………六塵が六処を衝撃する時、6種の感受が生起する。眼触は受を生み、耳触は受を生み、鼻触は受を生み、舌触は受を生み、身触は受を生み、意触は受を生み、一つ一つの受は、皆、苦、楽、不苦不楽を体験する。故に、合計18種の受がある。過去の18種、未来の18種に現在の18種を加えると54種の受になる。この他に、内の54種、外の54種、合計108種の受がある。我々は、ゆっくり学ぼう!仏陀は、受を形容して、泡の様だと言う。形成された後、非常に速く消滅するが故に。故に、受は無常である。苦受であっても、楽受であっても、不苦不楽受であっても、それを全て無常、無常、因縁法、因縁法と観じなければならない。この様にすれば執着は生じないし、又有身見も生じない。