Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(90ー8/9/10)(私家版)

愛は6種ある:             1.色愛:目が綺麗な色塵を貪愛する。              2.音愛:耳が耳に心地よい音を貪愛する。。。               3.香愛:鼻が香りを貪愛する。例えば、レストランのそばを通っていて、良い香りがすると、中に入って食べたくなる。これが香愛である。猿が香りに惹きつけられるのと同じである。。。。。。                    4.味愛:舌が美味な食べ物を喜ぶ。。。。              5.触愛:触は、地、火、風の三者である。我々の身体は、柔らかい感覚に貪愛する。                 6.法愛:我々の各種各様の考えを含む。己の考えに執着するのも法愛の一種である。。。。。。。。。                               通常、楽受によって愛が生じる。しかし、苦受でも、愛は生じる。心中に苦受が生起する時、我々はその苦受から抜けし、楽受を享受したいと思う(楽受に向かうのも愛の一種である。)故に、苦受を縁にして、愛が生起する事がある。この6種の愛は、三種の愛として解釈する事もできる:1.欲愛:前に説明した所の、色、音、香り、味、触は、欲愛に属する。。。。。。        2.有愛:生命に貪愛する。例えば、有る人が、川の中で溺れそうになっているとする。そこへ非常に臭い豚の死体が流れて来たならぱ、今までならば、鼻をつまんで通り過ぎていたものを、溺死するかも知れない今となっては、どれ程臭くても、それを掴んで延命しようとする。有愛の力は非常に強烈であり、我々をして、不断に輪廻せしめる。。。。。。。。          3.無有愛:断滅を渇愛する。即ち、断見を含む渇愛。。。。            貪愛は、輪廻の中において、我々は縛り付ける、非常に重要な、基本的にな煩悩である。愛はどこから生起するのか?その根は、如何にして張るのか?を理解しなければならない。。。。              仏陀は《大念処経》において、言う:「快樂と喜ばしい所の所縁は、愛を生起せしめ、根をばらせるものである。」。     どの様な喜ばしい色であっても、音・声であっても、香りであっても、味であっても、触であっても、法であっても、これらが、楽しいもの、喜ばしいものでありさえすれぱ、愛は生起し、根をはるのである。。。。。。。               輪廻の最も重要な要素は、無明と愛てある。「無明縁行、行縁識」識は今世のものであり、無明と行は過去世のものである。無明は過去の因であり、現在における所の、5蘊の果を齎す。。。           結生識において、名色が。即ち、結生識のその一刻において、5蘊が生起する。5蘊が生起するのは、過去の無明が関係する。愛は現在の因で、6処が6塵に衝撃される時、受が生起する。受の縁によりて、愛が生起する。愛は、生起するや否や、未来の5蘊の為に道を敷くのである。故に、愛は現在の因であり、未来において5蘊果を齎すと言う。