Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(91ー1/2)(私家版)

■縁於愛、取生起(愛の縁によりて取が生起する)………取は非常に強烈な愛である。特徴は掴んで放さない事。作用は緩めない事。現象は強烈な愛欲又は貪欲。合計四種の取がある:               1.欲取:欲楽への取。欲楽への強烈な渇愛。。。。。。。                  2.邪見取:邪見に対して執着する取。例えば、無作見(全ての行為は、果報を齎さないと言う考え)、断見、又は、世界は永恒である、又は不永恒である……などなどの見解を憶測する。。。。。      3.戒禁取:儀式又は苦いを実践すれぱ、解脱に向かう事ができると言う考え。仏陀の時代、又、現代のインドでは、非常に多くの人々が、戒禁取を修行している。仏陀の時代、二人の修行者がいた。一人は犬の真似をした修行、もう一人は、牛を真似た修行をしていた。犬の真似をする修行とは、犬の様に歩き、犬の食べ物を食べ、眠る時も犬の様に寝た。牛を真似る修行者も、また牛の諸々の行為を真似た。彼らは、この様にして、非常に長期にこの修行をした。ある時、仏陀が来た事を聞きつけて、非常に喜んで、彼らが長年修行して来た苦行は、どの様な善報があるかを、尋ねた。その内の一人が、仏陀に以下の様に言う:「この人は私の親友です。彼は長年、犬の真似をして、苦行を修しました。世尊、あなたにお聞きします。彼がもし往生するならば、何処に往生しますか?」仏陀:「私に聞かないで下さい。」彼は言う:「我々はこれ程熱心に答えを待っています。必ずお答え下さい。」仏陀は言う:「私に聞かないで下さい。」彼は!仏陀に答えて貰たくて引き下がらない。仏陀は又「私に聞かないで下さい」と三度返事したが、先方はなお、引き下がらない。仏陀は言う:「私に聞かないで欲しいといつでもも、あなたは承知しない。それならば、私はあなたに告げましょう!犬の真似の修行をして、善趣に往生できると思うのは邪見である。威力強大な天神に生まれると思うのも邪見である。彼は二つの場所に生まれる可能性がある。一つは地獄て、もう一つは犬(畜生)である。」仏陀は続けて言う:「彼が臨終の時に、この種の錯誤した考えを放棄するならば(良いのたが)、彼は、既に長年犬の真似をする修行を実践してきた為に、彼の心は犬に似ている。故に、犬に生まれるであろう。」犬の修行をしていた人は、それを聞いて、大いに泣いた。仏陀は、言う:「だから、私は、私に聞くな、と言ったのだ。」この様に、あなたが師に質問しても、師が答えない時、それ以上質問しない方が良い。というのも、師は、あなたが傷つくのを心配しているのである。この人は以下の様に答えた:「私が泣くのは、世尊の答えのせいだけではありません。これ程長く修行してきたのに、全て無駄になった事を泣いているのです。」。これは邪精進である。現在の社会の中において、非常に多くの人々が、戒禁取を修行しているか、己自身は、戒禁取である事を知らない。故に、私は以前、注意した事がある:「全ての事柄に関して、全面的に受け入れる事はあってはならない。智慧を持って、思考する事。全てを受け入れて実践した場合で、その中に一つの戒禁取があった場合、代償を求められる。」と。                  4.我論取:身見への執着及び、5蘊の中の一つを我、我のものと見做す事。。。。「縁於愛、取生起」(愛の縁によりて、取が生起する)、愛とは即ちこそ泥ご、物を盗もうとする時に伸ばす手の様である…取とは、こそ泥が、その品を掴んだ様なものである。