Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(42-5)(私家版)(90/250)

人々が、これは頬、これは唇、これは歯、これは目、これは手、足、胸等と認める事柄は、概念化された認知に属するものである。異なる身体部分を定義する事、又はその美醜、良し悪しを定義する事は、皆、貪着か又は排斥を誘発する。。。         かつて、アヌラーダプラに住んでいた女性が、夫と喧嘩して家を出た。道々、彼女は Mahā Tissa Thera が歩いているのに出会い、わざと大声で笑った。長老は彼女の歯に注目し、歯を目標にして白骨観を修した。。。。                 夫が妻を探しに来て、長老に出会い、女性が一人ここを通らなかったかどうか尋ねた。長老は、自分は男性か女性か注意を払わなかったが、しかし、一体の白骨がそこを通った、と回答した。。。          長老は、厳格に根律儀を守った為、女性を女性と見做す事がなかったのである。。   比丘は、テイッサ大長老の如くに厳格に根律儀を守らなければならない。。      比丘が厳格に根律儀を守るのは、非常に困難である。しかし、もし、根律儀を善く防ぎ守る事ができるならば、その他の戒条もまた円満に守る事ができる。。。       諸々の根を収め守る事は、沙門の品行を向上させる事ができる。比丘はこの戒をしっかりと守らなければならない。