開示を聞き終えて、多くの弟子は禅の修行に戻り、引き続き、各自の禅の業処に専注する。。…………………………………………………………………一日又一日、一月又一月、一年又一年、それぞれが、黙々と努力する。それはただ、彼らが疎ましく思う所の、五蘊を断じ除いて、人を欺く生死輪廻から解脱する為である。。…………………………………………………………………去年の年末、サパ寂静禅林におけるリトリートの最後の日に、ある夫婦がパオ禅師に会いに来て、尋ねた “生命の意義とは、何でしょうか?“ 禅師は答えた “生命は元から何らも意義がない。生命とは、無常、苦、無我なる五蘊である。それに一体、何の意義があるのか?“ この答えは、生命における如何なる輝きをも否定するものであり、多くの人々にとっては聞きたくないものであるし、討論するのも嫌なものである。。………………………………………………………………………… しかし、一針刺せば赤い血を見るが如くに、それは完全に正しい。 真の仏法は全くもって、輝かしくは、ない。奥深い仏法、例えば、この本の内容は、世俗に耽溺する人々にとっては、非常に沈鬱な、味気ないものである。。 仏法は、世の人々に対して、生死輪廻の本来の姿を明らかにしたーー人を惑わす恋情もなく、可愛い子も存在せす、人を高みに運ぶ虚名もない。ただ無常、苦、無我なる五蘊があるだけである。。 生死輪廻を深く愛する人は、この様な仏法を好むかどうか、ぜひとも、聞いてみたいものだ。。。。