もし、“この善き人に内心の痛苦がない様にと願う。“の方式で以て、有情の概念に専注する事が、一時間を超えるならば、尋、伺、喜、楽、一境性の五禅支が鮮明に、心に顕現する。即ち、初禅の証得である。この時、もし、あなたが、以前に白遍を修習して、第四禅まで至っているのであれば、慈心第二禅も、非常に容易に証得する事ができる。ただ、初禅の尋、伺を取り除きさえすれば、第二禅を証得する事ができるが故に。もし、更に進んで、第二禅の喜を取り除くならば、楽と一境性と言う二つの禅支を擁する所の、第三禅を証得する事ができる。慈心の修習では、第四禅を証得する事はできない。何故であるか?………… 心が、他人の“仇敵のない様に、内心の痛苦がない様に、身体上の痛苦がない様に。“と願う時、舎(捨)(upekkãママ)に安住する事ができるであろうか?不可能である。故に、慈心の修習は、第三禅までしか証得する事ができないのである。“彼に内心の痛苦がない様にと願う“とい方式で第三禅を証得したならば、その他の三種の方式で以て、引き続き、第三禅を証得するまで、逐一修行する。成功したならば、もう一人別の、あなたが敬愛する所の人物を選び、その人を対象として、修習する。四、五人程採用し、かつ、彼らに対して、第三禅を証得するまで、それぞれに慈愛を散布する。。。。。次に、あなたに対して親愛である者で、かつ同性の人に対して慈愛を散布する。例えば、父親、母親、兄弟、姉妹、又は同性の親戚等である。あなたが敬愛するか又は親愛する者への慈愛が平等であるとというレベルまで修したならば、この時、このニ種の人は、一種の人となる。即ち、あなたが好きな人、である。その後、更に四、五人の、あなたが彼らに好感も不快感もない人を選び、彼らに対して、第三禅を証得するまで、逐一、慈愛を散布する。成功したならば、次に転換して、あなたが嫌いな人に慈愛を散布する。これは、嫌いな人を擁する禅修行者への提言であり、もし、あなたに嫌いな人がいないのであれば、この修行は省略できる。。 ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!