(原稿P15)あなたの嫌いな人に対する慈心の修習………………………………………………………………………… あなたは、あなたの嫌いな人に対して、まずは一体、どの様な対象を、慈愛を散布する人物として選ぶのか?……………………………… まずは、あなた自身がその人に対して、ただ少しばかりの怒りの念の有る人を選んで慈愛を散布する。あなたが極めて恨んでいる人は、最後に残して置く(のがよい)。 修行の実践をする時、あなたは、先に、あなたの敬愛する人、あなたの親愛なる人、あなたちとって、好感も不快感もない人に、慈愛を散布する。そして、慈心が強くて力のあるものに変化したならば、禅定の光をあなたが嫌いな同性の者に向けて照らす。その後に、彼に対して“この善き人に仇敵のない様に願う。この善き人に内心での痛苦のない様に願う。この善き人に身体上の痛苦がない様に願う。彼が愉快であり、己を大切に、尊重する様に願う。“と慈愛を散布する。ジャーナを証得するまで、どれか一つの方式を選んで修習する。もし、ジャーナを証得する事ができないならば、《清浄道論》で述べられている所の、種々の方法によって省察する。注33。。人が食事をする時、自分が食べない骨を捨てて、己の好きな肉だけを食べる。人は、それぞれ、ある種の可愛い所、敬愛すべき長所がある。ここにおいて、あなたは、あなたが嫌いな人の、何らかの醜い所、耐え難い卑劣な所等の欠点を気にしてはならない。ただ、彼の長所のみを省察する。その後に再度、彼に慈愛を散布する。もし、この様にしても尚、ジャーナを証得する事ができないのであれば、省察する方法に変更する。仏陀は《無始相経》(AnamataggaSa@yuttaママ)注34の中において、以下の様に言う:過去の無始の長い輪廻の中において、お互いに父でなく、母でなく、子女でなく、兄弟でなく、姉妹等の眷属でなかった者を見つけるのは非常に難しい、と。あなたは、以下の様に省察するべきである:“今、我々はお互いに恨み合う事があるかも知れない。しかし、過去世において、彼又は彼女は、私の非常に親愛なる息子又は娘であったかも知れないし、又は私が彼の息子、娘であったかも知れない。“この様に省察した後、彼に慈愛を散布する。この様にすれば、慈心ジャーナを証得する事ができるであろう。 ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!