もしも、過去に蓄積した力のせいで、持戒とは反対の、<反感>
などの法が、時として生じる場合、菩薩道を修すると発願
した者は、以下のように省察しなければならない:
「己は、阿羅漢道智と、正等正覚を、証悟する必要があるのでは
なかったか?もし、己の戒行に欠陥があるならば、世俗の事柄で
さえも成就する事ができないし、ましてや、出世間の事柄などは、
とてもとても・・・。自分が証悟したいと思っている正等正覚は、
最高の功績である。持戒は正等正覚の基礎となるものであるから、
己の戒行は、非常に高い素質を具備しなければならない。
故に、自分は、戒律を熱愛する人間でなければならない。
自分は常に、自分の戒を善く守り、卵を守るメンドリより、
なお慎重でなければならない。
また、衆生を(+苦しみから)解放し、救うために、自分は彼らに
仏法を教えなければならない。また、五根が未熟な人たちに、
五根が成熟するよう支援し、彼らが、三乗に入れる様に
しなければならない。
医術を間違えた医師は、信頼できないように、人々は、道徳のない者
の言論を信頼することはない。」
また以下のように省察する:「もし、信頼されるに値する人間に
なりたいのであれば、自分には、清浄なる戒行が必要だ。
このようにして初めて、衆生を(+苦しみから)解放し救い、
彼らの五根が成熟して、三乗の(+流れに)乗れるよう、
彼らを支援する事ができる。
また、己が、ジャーナ等の特別な資質を持ってのち初めて、
他人を支援することができるし、智慧などの波羅蜜を円満する事が
できるのである。
もし、清浄なる戒行が無いならば、ジャーナ等の特別な素質を
獲得することはできない。そういう事から、己は、清浄なる
戒行を具備する必要があるのである。」と。
(+ )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)