パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-112
次に、持戒は、喜悦の根源である事を省察する・・・それは、
自責の念、他人からの譴責、懲罰及び死後、悪道に落ちる事から
守ってくれる。
持戒は、智者から讃嘆される;後悔から無縁になる;安全の基礎である;
それは、自分が獲得した出身(+の良し悪し)、富・財産、権力、長寿、
美貌、地位、族人(=同族の人)と友人のすべてから、超越している。
持戒清浄なる人は、喜びの心で思う:「私は已に善業をなした。
良い事をして、己の為に、危険を防止する保護所を建設した。」と。
彼は自責の念や、智者から譴責されるような煩悩から解放されている。
彼にとって、彼には懲罰や、悪道に生まれ変わるという事は、生じよう
がない。
そして、智者は感嘆して言う:「この人は徳行の有る人だ。彼は道徳の
無い人とは異なる。というのも、彼は決して後悔することが無い。」と。
戒行の有る人は、道徳の無い人のように「私は悪業をなした。私は
邪悪な事をした」などと、考える事は決してない。
持戒は、安全の基礎である。というのも、それは正念の根本的な原因
であり、非常に多くの利益をもたらす、例えば、財産の喪失を防止
するというような・・・。
そして、それは、不善業を取り除くことができ、故に、それは、
我々の幸福と安楽の最も主要な来源となる。
それは、獲得した身分・出身の高貴さなどを超越する。
というのも、たとえ、出身が低い者であっても、彼に道徳が備わった時、
高貴な出身である王族や婆羅門等の尊敬と礼拝を、受けるからである。
道徳という名の財産は、外部に存在している財産を超越している。
というのも、それは五つの敵の脅威を受けないし、それは我々と
共にいて、来世まで附いてくるのであるから。
それは極めて大きな利益をもたらし、定と慧を修習する基礎にもなる。
所謂世界の統治者でさえも、己の心を統制できないのに、戒律を
しっかり守っている人は、己の心を統制することができる。
故に、持戒は、国王の権力などなどより優れている。
仏陀が言うように、道徳は、命より尊くさえもある:
「一日、道徳のある生活を送る事は、百年、道徳なく暮らすより、
よい。」
それに、《中部・経105》で述べているように、梵行戒を捨て去る事は、
精神的には死んだも同然だ、という事である。
道徳のある人は、敵の尊敬・敬慕を受けることがあり、また、老いと
死と悪運に征服されることがないので、彼の徳行は、外面的な美しさを
超越する。
それは、天界と涅槃の楽の基礎であるため、世界に存在する最もよい
楼閣や宮殿より更に尊く、最も高級な国王、王子、大将軍などよりも、
遥かに優越している。
持戒は、あなたの幸福を願う親戚や友人よりも、もっと良い。
というのも、それはあなたに、真正の利益と幸福と、修養上の進歩を
もたらす上に、あなたの来世においても、共にあるから。
戒律は、まるで特別な用心棒のようで、看護しにくい身体を保護し、
軍隊、毒薬、呪文と魔法の危害から守ってくれる。
あなたが「持戒は、計算することのできない品徳を有する」と
省察する時、あなたは、不円満な戒行を、円満に持するようにするか、
または、不清浄な戒行を、清浄に持するようにするであろう。
(+ )訳者。(= )訳者。(つづく)
(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)
中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)