南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-112

次に、持戒は、喜悦の根源である事を省察する・・・それは、

自責の念、他人からの譴責、懲罰及び死後、悪道に落ちる事から

守ってくれる。

持戒は、智者から讃嘆される;後悔から無縁になる;安全の基礎である;

それは、自分が獲得した出身(+の良し悪し)、富・財産、権力、長寿、

美貌、地位、族人(=同族の人)と友人のすべてから、超越している。

持戒清浄なる人は、喜びの心で思う:「私は已に善業をなした。

良い事をして、己の為に、危険を防止する保護所を建設した。」と。

彼は自責の念や、智者から譴責されるような煩悩から解放されている。

彼にとって、彼には懲罰や、悪道に生まれ変わるという事は、生じよう

がない。

して、智者は感嘆して言う:「この人は徳行の有る人だ。彼は道徳の

無い人とは異なる。というのも、彼は決して後悔することが無い。」と。

戒行の有る人は、道徳の無い人のように「私は悪業をなした。私は

邪悪な事をした」などと、考える事は決してない。

持戒は、安全の基礎である。というのも、それは正念の根本的な原因

であり、非常に多くの利益をもたらす、例えば、財産の喪失を防止

するというような・・・。

そして、それは、不善業を取り除くことができ、故に、それは、

我々の幸福と安楽の最も主要な来源となる。

それは、獲得した身分・出身の高貴さなどを超越する。

というのも、たとえ、出身が低い者であっても、彼に道徳が備わった時、

高貴な出身である王族や婆羅門等の尊敬と礼拝を、受けるからである。

道徳という名の財産は、外部に存在している財産を超越している。

というのも、それは五つの敵の脅威を受けないし、それは我々と

にいて、来世まで附いてくるのであるから。

それは極めて大きな利益をもたらし、定と慧を修習する基礎にもなる。

所謂世界の統治者でさえも、己の心を統制できないのに、戒律を

しっかり守っている人は、己の心を統制することができる。

故に、持戒は、国王の権力などなどより優れている。

仏陀が言うように、道徳は、命より尊くさえもある:

「一日、道徳のある生活を送る事は、百年、道徳なく暮らすより、

よい。」

それに、《中部・経105》で述べているように、梵行戒を捨て去る事は、

精神的には死んだも同然だ、という事である。

道徳のある人は、敵の尊敬・敬慕を受けることがあり、また、老いと

死と悪運に征服されることがないので、彼の徳行は、外面的な美しさを

超越する。

それは、天界と涅槃の楽の基礎であるため、世界に存在する最もよい

楼閣や宮殿より更に尊く、最も高級な国王、王子、大将軍などよりも、

遥かに優越している。

持戒は、あなたの幸福を願う親戚や友人よりも、もっと良い。

というのも、それはあなたに、真正の利益と幸福と、修養上の進歩を

もたらす上に、あなたの来世においても、共にあるから。

戒律は、まるで特別な用心棒のようで、看護しにくい身体を保護し、

軍隊、毒薬、呪文と魔法の危害から守ってくれる。

あなたが「持戒は、計算することのできない品徳を有する」と

省察する時、あなたは、不円満な戒行を、円満に持するようにするか、

または、不清浄な戒行を、清浄に持するようにするであろう。

(+ )訳者。(= )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)