Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-121

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

まさに、この男性が、二股の枝で、その蛇を捉まえようとする時、心の中で思う:

「私はどのようにすれば、彼を害さないで、また、私が彼に、咬まれないという状況の下で、彼を取り除く事ができるか?」

この時、彼はただ一つの、蛇を取り除く方法を見つけ出し、蛇を捉まえる事に関して、中捨を感じる。

同様に、比丘は、三相を探し求める事を通して、燃えている最中の三有を見たならば、彼は、諸々の行蘊に執着する事に、中捨を感じる。

この捨は、「行捨」と言う。

このように、「観捨」を打ち立てたならば、「行捨」もまた、すでに打ち立てられている。

しかしながら、それは、観察(+したもの)に対して、中捨を感じるか、または執着に対して、中捨を感じるかによって、二種類に分類することができる。

精進捨と受捨の二種類は異なっており、また、その他の捨とも、異なる。

これらの捨の中で、ここで述べているのは、禅捨である。

その特徴は中捨であり;

作用は、関心を寄せない事であり;

現起(=現象)は、興味を感じない事であり;

近因は、喜の消滅である。

(5-122につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>