Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」4-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

「学」は三学であるーーすなわち、増上戒学、増上心学(=増上定学)、増上慧学である。

しかしながら、ここにおける義は:

「(いわゆる)学とは、すでに離に到達した所の戒、世間vipassana、色・無色ジャーナ、及び聖道」を目的とするものである。

たとえば、

「法とは何か?

いついかなる時においても、欲界善心、喜俱智相応・・・略・・・が生起する時、その時には触があり・・・略・・・不散乱(+があり)、これらの法は学である。

学とは何か?

いついかなる時においても、色(界)に生まれたならば、道を修して、諸々の欲を離れ、諸々の不善法を離れ、・・・略・・・初禅・・・略・・・第五禅を具足して住し、略・・・不散乱であり、これらの法は学である。

いついかなる時も、無色(界)に生まれたならば、・・・略・・・非想非非想処を具して、・・・不散乱であり、これらの法は学である。

どのような法が、学であるか?

いついかなる時においても、彼は出世間禅を修して出離し、・・・略・・・不散乱であり、これらの法は学である。」等である。

これらの学の中のある種の(学)は、学の処に到達する(+事の出来る)法、または(学ぶべき所の)根本、依止、住立処を「学処」と言う。

上記に関して、以下のように言う:

「戒に依止し、戒に住立して修習し、多く七覚支を(修習)する」など等。

ここにおいて、共通する文言、及び共通の言葉と義に関して、なすべき説明をなした。

(4-9につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>