自分と考え方が異なる人に対して、我々は寛容な心で対応するのがよい。
簡単に言うと、見方や意見が自分と異なるからといって、相手が
必ずしも間違っているとは言えない。我々がまず学ばなければならない
のは、仏ではなくて、我慢(=忍耐)、寛恕、寛容である。
この種の基本的修養さえも持たないのであれば、仏を学ぶとか、
解脱とか、慈悲とかをいっても虚しく、ましてや「清浄心」など
論じるに及ばない。
かくて、我見は必ず捨てなければならない。
(台湾高雄文殊講堂 慧律法師著
翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)