一人の徳行ある人は、必ず下記の四つを備えている:
すなわち、慈、悲、喜、捨である。
慈――人に楽を与える事。あなたの苦痛を知らせたならば、
その人は無条件で支援してくれる。
悲――苦しみを抜き去る。あなたに苦痛がある時、それを
抜き取るのに、おしみなく支援してくれる。
喜――一日中喜びの心で生活している。あなたが彼に出会う時、
あなたはその暖かさを感じる事ができる。外見が多少厳粛で
あっても、あなたが近づくと、彼の慈悲を感じ取る事ができる。
捨――布施、捨てる行為。
広欽老和尚は、よく我々に言ったものだ:
「自分を世界で最も役に立たない人間だと思いなさい。そうすれば、
煩悩は減るであろう。
まさに、人々が、自分こそが世界で最も有用な人間であり、
特別な人間であると思うからこそ、煩悩は生まれる。
自分を大した人間だと思えば、自尊心はどんどん高く、大きくなり、
他人がその下で少しばかり体を揺らすと、高く聳えた自尊心は、
グラグラと動いて危険な状態になる。
自分を平凡な人間であると自覚する時、心の内にやすらぎが生まれる。
私は一人の平凡な人間であり、ここに座っておられる方々の方が
立派である、と常に思っている。
故に、私は誰かが私を攻撃する言葉を聞いても、私を害し、誹謗する
言葉を聞いても、これを受け入れる事ができる。というのも、私は
元々、根っからの凡人であり、何らの長所もなく、長所はみな他人の
持ち分だと、思っているからである。
人が私を批判するのは、しごく当然のことだと、私は思っている
のだ」と。(つづく)
(台湾高雄文殊講堂 慧律法師著
翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)