縁起とは、非常に奥深く、まさに仏教の核心、または真髄である。
元々、縁起とは奥深いものであるが故に、必然的に色々な問題を
引き起こす。
これらの問題は、翻って仏教を害し、その為、仏教徒が、この
核心的な教えから、利益を受けられないという事にもなる。
アーナンダ尊者が仏陀に、縁起とは非常に簡単で浅いものだ、
と言った時、仏陀は答えて曰く:
「アーナンダ!このように言ってはならない。アーナンダ!この
ように言ってはならない。縁起は甚だ深く、深遠なる相であり、
衆生には理解できないものである。
衆生は、私の教えをはっきりとは理解できないのであり、徹底
的に縁起を看破する事はできず、故に心は混乱している。
まるでからまって解けがたい糸のように、玉のように絡まって
しまった線のように、絡まりながら這い育つ文若草や灯心草の
ように、(縁起を理解しない衆生は)苦界、悪趣、堕処、輪廻
から出離することができない。」
この経文は、我々に、縁起を遊び道具にしてはいけない事、
精神、智慧を総動員して、縁起を学ばなければならない事、
縁起に対して、心ここにあらず、ぼんやりしてはいけない事
を教えている。(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)