《ここより本題》
縁起甚深~
縁起は、仏教徒にとって、必ず学ばなければならない課題である。
パーリ経典《長部》で述べているように:
正等覚者が善く述べた法は、争いをやめ、梵行を長くとどめ、その
利益を述べ、天と人が安穏を得るために、比丘は、よく学ば
なければならない。(それは下記の1、と2、である)。
1、処(に関する)善巧
2、縁起(に関する)善巧
この経文は、我々は、お互いに助け合って縁起について、
正確な理解を得るよう、努力しなければならない事を
言っている。
こうすれば、自己と宗教に関して利益をもたらし、また
人間、天の二道に安寧をもたらす事が出来る。
特に我々仏教徒は、紛争を無くし、共通の認識を得るよう
努力しなければならない。
というのも、意見の分裂は、縁起の実践に障碍をもたらす
からである。
我々は自己のできうる限りの方法を用いて、お互い、
共通した認識を打ちたてるべきである。
ここで私が述べる事は、紛争を煽るためではなく、
その反対であって、縁起を教える教師と、縁起を学ぶ学生、
およびその他の、縁起を研究したいと思っている人々の間の
確執を取り除きたいから、である。(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)