Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー8

凡夫は、常見の認識しかもたない。という事は、常に一個の

「自我」があると思っている。故に、凡夫は、縁起について、

非常に奥深く、理解しがたいものに思える。彼らからすれば、

縁起とは、先ほど述べたように、絡まってしまった糸のよう

に、奥深くまた複雑な哲学のように思えてしまう。

そうして人は、論争に力をつくし始める。

それはまるで、視力障害者が象を撫でるがごとく、彼らは、

象の異なる部分を撫でては、争いを巻き起こすのである。

しかし、阿羅漢から見れば、縁起とは、一種の自然なる

知識であり、公開して証明する事の出来る科学であり、

または手にとって観る事のできるものである。

たとえ縁起の支分の各種の名称を知らなくても、彼は

一切の事物、出来事をはっきりと看破したので、二度と

執着する事はなく、どのような情況に接触しようとも、

愛(渇愛)や取を生じさせることはない。

彼は縁起の各支の名称を知っていなくとも、縁起の内容

を他人に非常に詳しく説明する事はできなくても、また、

まったく縁起について説明できなくても、問題はない。

ただただ、阿羅漢は、最も円満なる正念を具備している

がために、縁起の還と滅の方法によって、完全に苦を

滅することができるのである。(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)