これこそが、縁起の奥深い理由であり、仏陀のような智者で
あってさえも、あらゆる苦労と労力を尽くして、ようやく
発見したものであり、その後に教えを確立して、一切の衆生
を導いた。
このようではあるけれども、縁起はなお、理解しがたいもの
であったため、仏陀は覚醒した直後は、衆生に縁起を教える
のはやめようと考えた。
というのも、ごく少数の人間しか、このような奥深い教え
は理解する事ができず、心血を注いでも無駄になるばかり、
だから。
しかし、結局は、大悲の力によって、仏陀はこの理解しに
くい、奥深い真理を教え指導する事を決意し、世間で少数の、
縁起を理解できる人々に、仏陀は心に慈悲を懐いて、指導した。
我々は、凡夫に対して、このような理解しがたい縁起について
解説する事が、どれほど苦労するものであるか、仏陀のご苦労
に思いやる必要がある。(つづく)
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)