Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー11

(仏教で)道徳の説明をするとき、必ず「人」がいるとか、

「衆生」がいるとか、「私」とか、「如来」とか、言わな

い訳にはいかない。

人に幸せの話をするときには、死後における幸福の果報の

話もしなければならない。

しかしながら、勝義諦の話をする時は、「衆生」とか「人」

とか「如来」とかは存在せず、ただ、相互に依存して生起

する所の、刹那刹那の相続の流転があるだけであり、

それぞれの一支を「縁起の法」と言い、それらが線のように

連なるか、または鎖のようにつながることを<縁起>と呼ぶ

のだという事を説明する。

一つ一つの刹那、すなわち、今、ここにおいては、「私」

という存在は無く、故に誰が生まれ、誰が死ぬのかという

問題は、生じない。

(仏教は)、古い業の報いを誰が受け取るのかという<常

見>でもないし、死後、断滅して存在しなくなるという

<断見>でもない。

というのも、(訳者補:刹那の縁起を理解した人にとっては)

その理解した瞬間から、断滅すべき人はおらず、今・ここに

おいて、勝義諦中道の縁起の現象が存在するのみ、という

事を受け入れる事ができるから。

それは、八正道または道徳上の中道に応用する事ができ、

お互いに矛盾しないものである。(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)

 (訳者の感想:19世紀末に素粒子物理学が発展してから、

刹那生滅の原理、物質は電気的エネルギー体であって、我々

凡夫が肉眼で見ると、固い固形の物質にみえているだけ、

という事が、科学的に明らかになってきました。2500年

前に<身心は虚構(五蘊空)>と看破した仏陀は、しかし、

それを説明するのに相当ご苦労されたようです。

ダライラマ猊下も、素粒子物理が発展したおかげで、仏教の

説明が随分楽になったといっていましたね)。