もう40年程前でしょうか。
私が仕事(中国語通訳)で台湾に滞在した折、台北の本屋さんで『阿含正見』という本を見つけました。
著者は釈従信、比丘です(大乗のお寺を出て、ご自分の精舎をお持ち、とのことでした)。
この本を読んで感動した私は、従信師に「弟子にして頂きたい」と手紙を差し上げた所、「私は弟子を取らない」というお返事と共に、彼の著書がドサッと届きました。
その中に「仏陀の本懐は、阿含にあり。しかし、これからテーラワーダ仏教が盛んになると、パーリ語熱が高まり、パーリ語熱に浮かされた仏教徒が出てくるだろう。困まったものだ」という一文がありました。
私は台湾で、大勢の比丘尼さん達と一緒に、ドイツ人の先生からパーリ語を学びましたが、いつも従信師の言葉を思い出して、仏教の話をする時、パーリ語を多用しないよう気をつけています(勿論、私のパーリ語自体、大したことありません~笑・・・特に動詞が難しいですね、活用が複雑で)。
今では、日本でも、パーリ語が大流行り。
悲しいかな、師の予言は当たりました。
若い頃に従信師に出会っていなかったら、私もパーリ語オタクになっていたかも知れません。
人生、何が幸いするか、本当に分からないものです。