<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
なぜ、これを「《小部》」と呼ぶのか?
諸々の多くの小さな法の蘊(=集まり)の群衆とその住処であるが故に。
群衆とその住処という意味において「部(ニカーヤ)」と言う。
如説(注7):「比丘たちよ。私はその他の一部の類が、このように多元性を有するのを見ない。比丘たちよ。ちょうど、この畜生趣の生き物(注8)のように。」
上記の例は、(仏)教から来ている;
そして、「poṇiki(注9)ニカーヤ、cikkhallikaニカーヤ」など(の例)は、(教の外の)世間に基づいて、述べられている。
(本書においては)これが経蔵に属するものである事を示し、区別し、開示したく、また、《小部》の一部分である「諸々の小さな(聖典)」の意味・意義を開陳したいという目的も有するものである。
(注7)緬甸(ミャンマー)版には「如説(yathāha)はない。
(注8)S. iii,p152。
(注9)「poṇiki」は、緬甸版では、「poṇika」となっている。
(2-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「南伝仏教在家居士須知」改題「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律
ハンドブック」中国語版→日本語訳出翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>