「身念処」2-5
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
同様の方法で、座る色身、歩く色身など等を観照する。
これらの色身を観照する時、コントロールが不可能な人間について、それを注視するかの如くの態度で実践しなければならない。
色身は、所縁であり、vipassanaは心による作業であり、故に心は、<今・ここ>を保持した時初めて、智慧を啓発する事ができる。
こうした事から、心は、現実の状況(たとえば、心が聞いてる)を観照しなければならず、現実を創造してはならない。
我々は、現前する状況を観照すればそれでよい。心をコントロールしたいという、すべての意図はみな、我々が実相を見たいという願望を表している;
この種の、実相を見たいと言う貪念は、我々をして、中道と<今・ここ>から離れせしめる。
(2-6につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>