Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

FDC資料「37道品ハンドブック」3-12 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

身見の三種類のレベルの中で、戒・律は、「犯罪」のレベル(+の身見)を、打ち壊す事ができる。

これは、もし、一人の修行者が、戒清浄を擁しているならば、言動上の身見は、生起しない事を意味する。

禅定は、「煩悩のまとわりつき」のレベルの身見を打ち砕くことができる。

これは、もし修行者が「作意の修習」(すなわち、心を一処に制する事)に安住することができるならば、思想上の「身見」は生じない事を意味する。

智慧は、「随眠」レベルの「身見」を、根ごと取り除くことができるが、これはすなわち、もし、直観(=vipassana)が証得されたならば、身体全体は「名」と「色」の結合にすぎず、ただ、無常・苦・無我の集合にすぎず、人だとか、有情だとか、常だとか、楽だとかの方式で顕現する潜在的な身見は、(+この直観によって、修行者の心の内に)ことごとく滅し去ることになる。

ただし、(+修行者の内に)この種の随眠身見が存在している限り、戒律によって打ち壊された所の「犯罪」レベル、及び禅定によって打ち壊された所の「煩悩のまとわりつき」レベルの、(+修行によって、身見が打ち壊された事で得られる成果は)暫定的な現象、成果に過ぎないのだと言える。

(3-13につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>