<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
「すでに、一趣向道者に到達した者を仏陀となす」ーーこの種の言い方は、往趣の義の方式によって、覚悟(=悟り)の義を表しているのである、ちょうどすでに道路(終点)に到達した男子を到達者と呼ぶのと同じである;同様に、すでに一趣向道者(+である者)もまた「仏陀」と呼ぶ。
「すでに、己独りで、無上正自覚を覚悟した者は仏陀となす」--他人によって覚悟したのではないが故に仏陀である、というのはどういう意味であるか?
己自身によって、すでに、おのずと無上正自覚を覚悟した事があらわになった者を「仏陀」と呼ぶ。
(1-15につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>