<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
唯一の道=一つの門
仏陀の述べた ”ekāyano maggo” は直訳すると ”一筋の道” となる。我々はまた、それを ”唯一の道” と意訳する事ができる。
アーナンダ尊者が言った ”ekadvāraṃ” は、”一つの門” と訳するが、我々はまた、それを ”唯一の門” と意訳する事ができる。
我々が ”一” と言おうが、 ”唯一” と言おうが、”ekāyano maggo” と ”ekadvāraṃ” の意味はみな、四念処を修習する事は、選択の余地がない事を意味している。
言い換えれば、ある人が:
”私は、如実に身を随観しなくても、如実に受を随観しなくても、如実に法を随観しなくても、完全に苦の際から逃れることができる” と言うとしたならば、仏陀とアーナンダ尊者の考えに基づけば、それは不可能な事なのである!
(注31)
この討論を終了させるにあたって、我々は仏陀が《大念処経》の中において、どの様に vipassanā を指導しているかを、見てみよう。
(3-61につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>