翻訳『禅修指南』(3-20)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
例えば、誰かが、以下の様に思うとする:
「息を観ているだけで、本当に、ジャーナを証得することが出来るのだろうか?」
または:
「禅相は、綿花の様相を呈する時は、取相と言い、氷の様に透明な時は、似相というが、それは確かな事柄であろうか?」と。
もし、この種の疑惑が益々強くなるならば、彼は、この時代にはジャーナを証することはできないのではないかと懐疑して、結果、仏法に対して確信を失い、最後には禅定の修習を放棄してしまうであろう。
もし、人が、安般念業処でもって、禅定の修習をするならば、堅固な確信が必要である。
彼は、全くの懐疑心なく、妄想心なく、安般念を修習しなければならない。
もし、仏陀の教えに従って、仏陀の教法を系統的・段階的に修習するならば、必ずや、ジャーナを証得することができる。
(3-21につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版
中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>