<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
これらの心路過程の中において、眼識名法は、眼依処色(cakkhu vatthu rūpa、すなわち:眼浄色)に依存して生起する。
その他の名法は、皆心所依処色に依存して生起する。
經における教法によると、例えば、《根本50經篇註》の中では、以下の様に言う:
Vatthu nāma karajakāyo・・・atthato bhūtāni ceva upādārūpāni ca.
ーー「依処色とは、すなわち所生身であり・・・すなわち種色及び所造色である。」
禅修行者は、色法を、それの密集が看破できるまで識別する必要があり、その為、「依処色」にかかわる提言のある時、それはすでに、当該の書(+に記載された所)の、種色と所造色も含まれる、という事である。
名色分別智の段階において、見える限りの非真実色法を、識別しなければならない。
観禅の段階になって初めて、非真実色法(+の識別を)捨てるのである。
有分心の34個の名法は、結生心喜俱の三因者(tihetuka)について、述べたものである。
もし、禅修行者が、結生心捨俱の三因者であるならば、その有分心の名法はただ、33個しかない。
有分心の所縁は、前の一世の臨終速行心(maraṇasanna javana)の所縁であり、すなわち:業、業相及び趣相の三者の内の一つである。
有分心の過去の所縁(前世臨終の時の所縁)を、正確に識別出来て初めて、彼は、現在の心路過程の間(+に出現する所)の有分心を識別することができる。名法の識別を開始する段階においては、それはひとまず、横においておく。
(8-36につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
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<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>