<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
《過去世の臨終の時に向かって》
人類が結生(paṭisandhi)する時、三種類の色聚が生起する。すなわち、心色十法聚(hadaya dasaka kalāpa)、身十法聚(kāya dasaka kalāpa)と性根十法聚(bhāva dasaka kalāpa)であるが、それはまた、30種類の色法でもある(三種類の色聚または、30種類の色法しかないが、しかし、一つひとつの種類の数量は、非常に大きい)。
名法については、もし、禅修行者が三因者(tihetuka)である場合で、その結生識が喜俱である場合、それは34個の名法(心と心所)の、信慧グループとなる。
その智が鮮明になるまで、これらの名色法を識別する。
智でもって、究極法を識別、了解できる時、以下の様な、審察をする。
So ’idaṁ nāmarūpaṁ
na ahetu na appaccayā
nibbattam、sahetu sappaccaya
nibbattam.
Ko panassa hetu、
ko pana paccayo’ti
upaparikkhanto
’Avijjāpaccaya
taṇhāpaccayā
kammapaccayā
āhārapaccayā
cā'ti tassa
paccayaṁ vavatthapetvā
’atītepi paccayā ceva
paccayasanuppannadhammā ca、
tato uddhaṁ satto
vā puggalo vā natthi、
suddhasaṅkhārapuñjā
evā'ti tisu addhāsu kankhaṁ
viharati.
Ayaṁ pana
vipassanāsankhārasallakkhanā
ñātapariññā nāma.’(《迷惑氷消》)
上に述べた註釈に基づけば、これらの名色法は、因無く(hetu または janaka、すなわち、直接果を引き起こす所の、因)及び無助縁(paccayā または upatthambhaka)のままに、生起するという事は、有り得ない。
それらは、唯一、因と助縁が具足した時にのみ、生起する。
智慧の光でもって、過去を照らした後、もし、何が因で、何が助縁であるかと、審察するならば、禅修行者は、過去世の臨終の時に生起した所の、名色法、または臨終速行心(maraṇasanna javana)の目標を、見ることが出来る(この目標とは、業(kamma)、または業相(kamma nimitta)、または趣相(gati nimitta)の、三者の内の一である)。
(9-19につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>