Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」6‐9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

10.6 五浄色の識別

目の中には、色々な種類の色聚があるが、それは、ちょうど米粉と小麦粉が混ざった様な状態と、同じである。

目の中には、二種類の、まじりあって、一緒になった浄色がある;

眼浄色と身浄色である。

これは、目の中の眼十法聚と身十法聚が、まじりあって、一緒になっている、という事を意味する。

身浄色を含む身十法聚は、全身の六処門に分布している。

それは、目の中においては、眼十法聚と、耳の中においては、耳十法聚と、鼻の中においては、鼻十法聚と、舌の中においては、舌十法聚と、心臓の中においては、心十法聚と混じり合って共にある、という事である。

性根色を擁する性根十法聚もまた、全身の六処門において分布していて、明浄色聚と混じり合って、共にある。

もし、それらを識別するのであれば、あなたは先に、浄色を識別しなければならない。

眼浄色(cakkhu pasāda):

眼浄色は、色彩(色塵)の衝撃に敏感であり、身浄色は、触塵による衝撃に敏感である。

この、目標(所縁)に敏感(+な様)が異なっている事が、あなたをして、どれが眼浄色で、どれが身浄色であるかを、分別せしめ、知らしめることができる。

先に、目の中の四界を識別し、その後に、一粒の明浄色聚を選んで見る、その後に、少し遠くにある一塊の色聚の色彩を見るが、もし、選んだ浄色に、色彩が衝撃するのを見るならば、それがすなわち、眼浄色であり、その眼浄色を含む色聚は、すなわち、眼十法聚である。

もし、その色彩が、(+あなたの)選んだ浄色を衝撃しないならば、それは眼浄色ではなく、身浄色である、というのも、目の中には、二種類の浄色があるが故に。

身浄色(kāya pasāda):身浄色は、触塵の衝撃に敏感である。触塵とはすなわち、地、火と風の三界である。

先に、一粒の明浄色聚を選び見て、その後に、近くにある、一粒の色聚の中の地、火、風界に注意を払うが、もし、この三界の内の一つが、(+あなたの)選んだ浄色を衝撃するならば、それはすなわち、身浄色であり、身浄色を含む色聚とはすなわち、身十法聚である。

目の中の身十法聚を識別するのと同じ様に、あなたは、耳、鼻、舌、身体と心臓の中の身十法聚を識別しなければならない。

耳浄色(sota pasāda):耳浄色は、音塵の衝撃に敏感である。先に、耳の中の四界を見て、次に一粒の明浄色聚を見、その後に、音を聞き、もし、当該の音が選び見た浄色を衝撃するならば、それは耳浄色であり、耳浄色を含む色聚は、すなわち、耳十法聚である。身十法聚の識別方法は、すでに述べた。

鼻浄色(ghāna pasāda):鼻浄色は、香塵の衝撃に敏感である。先に、鼻の中の四界を見て、次に一粒の明浄色聚を見、その後に、一粒の色聚の香を嗅ぎ、もし、当該の香が選び見た浄色を衝撃するならば、それは鼻浄色であり、鼻浄色を含む色聚は、すなわち、鼻十法聚である。

舌浄色(jivhā pasāda):舌浄色は、味塵の衝撃に敏感である。先に、舌の中の四界を見て、次に一粒の明浄色聚を見、その後に、その近くの一粒の色聚の味を味わってみて、もし、当該の味が、選び見た浄色を衝撃するならば、それは舌浄色であり、舌浄色を含む色聚は、すなわち、舌十法聚である。眼処の色聚を識別するのと同じ様に、舌処の色聚を識別する。

身十法聚と性根十法聚は、六処門すべてのに存在している、故に、一つひとつの処門毎に、それらをみな、識別しなければならない。

(6-10につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>