これらの五取蘊はみな、苦諦法(dukkhasaccadhammā)、すなわち、苦聖諦の法である。それらに対して、この様に理解しなければならない。
仏陀は《長部・大因縁經》において、以下の様に言う:
「アーナンダ、この縁起というものは奥が深く、奥の深い相を具有している。
アーナンダ、もし、この法に対して随覚せず、通達しないのであれば、この人は、絡まった糸の玉の様に、穀喇鳥の巣の糸の様に、萱草、灯心草の様に、苦界、悪趣、堕処、輪廻を超越する事はできない」(D . 2.95;S. 2.60)。
上記の經文に関して、義註は以下の様に解説する:
「この[有輪]は、実に極めて深く、立脚の処なく、[同一的な理等の]種々の理の密林は、超越しがたい。
殊勝な定石で磨いた智慧の剣でもって有輪を切り開くのでなければ、どの様な人間であっても、雷電の輪の如くに、恒常に圧迫する所の輪廻の畏怖、恐怖を超越する事が出来ない、たとえ夢の中であってさえも[不可能である]!」(Vbh.A. 242;Vm。661)。