南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

般若の独り言~言語道断とは何か

皆様は 『言語道断』 という言葉を聞く時、その意味をどういう風に受け取られますか?

私が若い頃に、日本語で書かれた小説を読んでいて、この言葉が出てくるのは、たいていは、主人公が非常に怒っていて、一言も言葉を発せないほどだ、という場面に使われることが多かったと思います。

ただ、その後、中国語で書かれた仏教書を読むようになって、この 『言語道断』 という言葉は、そういう意味よりも、もっと深い内容を持っている事に気が付きました。

それは、修行者が、慧眼(心眼)でもって、vipassanā

(観禅)をしている時に(純粋な vipassanā または

サマタ+vipassanā)、観察している対象、すなわち、色聚・名蘊、または、色法・心法の刹那生・滅があまりに快速であるために、言葉でラベリングする事が全く不可能である、ラベリングをする暇が全くない、という時、修行者は、『言語道断』 という言葉でもって、その状況を表現しようとしているのだ、という事です。

例えば、八法聚(地、水、火、風、色彩、匂い、味と栄養素)の、その一つひとつが生・滅する場面を観察する時、その対象に、一つひとつ、ラベリングをする余裕など、全くない、という事です。

故に、パオ森林僧院では、ラベリング全面禁止。

初心者が安般念を初めて修習する時、数息観ならば、数を数えますが、観察している対象が何であるか、という 

<概念へのラベリング> はしません。

仏教の修行の眼目は、究極法の観察を通して、存在の実相を悟る事であり、それはとりもなおさず、<概念から離れ>て、『言語道断』 の境地に至った時、初めて成就・成功するからです。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>