般若の独り言~美しい年寄り
今朝早く、PC上のニュースを読んでいましたら、池口恵観という僧侶(鹿児島の真言宗寺院の住職さん、有名人らしい)の方が、『ダンマパダ』を引用して、人としてのあり方、心の磨き方を説いていました。
【人生は生・老・病・死、無常・苦・無我であるから、過剰な欲望、汚れた心は捨てて、精神的向上を目指すのがよい。
今生だけ、物欲を成功させても意味がない。
なぜならば、転生輪廻があるから。
しかし、今の世の中は、輪廻を信じない人が多く、故に、
<身口意>に注意を払って慎ましく生きるより、欲望にまみれる世界になってしまった・・・】
という様な趣旨でした。
このご意見、私も、大いに賛成です。
私は70代の老婆で、九州の Y盆地住まい、という場所柄、毎日、温泉プールの水中運動に行くのですが、出会う人もまたお年寄りばかり。
そのお年寄りの中に、私にマウントして来る者、過剰に孫自慢、ひ孫自慢する者、老いらくの恋に熱心な者(80歳過ぎて、結婚相談所に登録している)がいて、「なんだかなぁ」と思う事しばしば。
「あなた、来世、どこへ行きますか?準備は出来ていますか?」
「子や孫やひ孫が如何に優秀でも、あなたの来世を保証してくれるわけではないですよ」
と、心の中で嘯いてみるけれど、まぁ、口には出しません。
私は私で、己自身の <身口意> を守らねばなりませんから(笑)。
トルストイでしたか、
『幸福はみな同じ形をしているけれど、不幸の形はみな異なる』
とおっしゃったのは。
心の美しい年寄りはみな共通した<気品>があるけれど、心の美しくない年寄りは、それぞれに醜い・・・ぜひとも、心の美しい年寄り、になりたいものです。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>
、