1)個別の色聚の中の四界を見る事、それはすなわち、究極色法(paramattharūpa)を見ることであるが、(修行者が)究極色法を見ることができるという事は、甚だ深く、微妙な事柄である。
(しかし)彼は、究極法を所縁として、ジャーナを証得する事はできないのである。<注242>
2)たとえ、禅修行者が、色聚を分析する時の定力が非常に深いものであったとしても、ジャーナの深さに到達することはできない。
何故であるか?
というのも、色聚は、生じるや否や、即刻滅し去る。
このことは、所縁が常に変化していることを意味している。
もし、常に変化している所の所縁に専注するならば、ジャーナを証得することはできない。
故に、四界差別の修習では、ジャーナを証得する事が出来ない、という事を踏まえて、我々は、個別の色聚の中の四界を所縁とした近行定は、真正なる近行定ではなく、それは刹那定であることが分かるのである。