Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#51-2

ここにおいて、我々は、仏陀の述べた所の意味を検討してみたいと思う。

もし、弟子が、師長の指導によって四聖諦を了知したならば、彼の四聖諦の観智は、彼が、恭敬し、師長に四資具を供養した、その行為より更に利益がある。もし、彼が、入流道智(Sotāpattimagga-ñāṇa)と入流果智(Sotāpatti-phala-ñāṇa)を通して四聖諦を知見したならば、この種の観智は彼が四悪趣(apāya)から離脱する支えに成る。

この種の結果は、極めて殊勝である。

あれら、善行の育成を疎かにしている人々は、通常、皆四悪趣において、徘徊する。四悪趣は、彼らの家(Pamattassa ca nāma cattāro apāyā sakagehasadisā)<注427>の様である。

彼らは、ただ、偶に善趣に来るだけであるが故に、四悪趣から離脱するのが極めて難しい。

弟子が、恭敬し、師長に四資具を供養する行為は、この種の結果と共に語るのは、全くもって出来ないのである。

次に、もし、弟子が、一来道智(Sakadāgāmimagga-ñāṇa)と一来果智(Sakadāgāmiphala-ñāṇa)を通して、四聖諦を知見したならば、彼は、ただ、もう一度だけ、人間界に生まれ変わる。

もし、彼が不来道智(Anāgami-magga-ñāṇa)と不来果智(Anāgamiphala-ñāṇa)を通して、四聖諦を知見したのであれば、彼の観智は彼が11種類の欲界を超越する事を助けることができる。

彼は、必ずや、ただ梵天界にのみ生まれ変わることが必定であり、この欲界に戻ってくることはない。

梵天界の楽しさは、欲界より、はるかに上回る。

梵天界には男女の別なく、娘や息子や家庭というものはなく、騒乱と争いもないし、どの様な飲食もない;

彼らの寿命は極めて長く、誰も彼らの楽しみを打つ壊すことは出来ないし、彼らもまた、如何なる危険にも、出会う事はない。

しかしながら、いまだ阿羅漢果を証悟していないならば、彼らは、依然として、堕落、死亡と輪廻による再生に堕ちる事を免れえない。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>