Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#35-14

小入流(小ヨルカ)が、天界に生まれ変わって後、迅速に涅槃を証悟する例は、沙門天子(Samaṇa-Devaputta)の物語に詳しい<注235>。

彼は、曾ては、一人の、止観の修習に精進していた比庫であったが、彼は修行中に死亡して、かつ天界に往生した。

彼は、自分がすでに死亡した事を知らないでいて、生まれ変わった天界の宮殿の中において、引き続き、禅の修行をしていた。

宮殿の中にいる天女が彼を見て、彼の前生は必ずや一人の比庫であったであろうと意識し、その為、彼の目の前に鏡を置いて、かつ、ザワザワと音を立てた。

彼は目を開けて、鏡の中の自分の姿を見て、非常に失望した。というのも、彼は天人になりたくはなく、ただただ、涅槃を証悟したかった故に。

その為、彼は、即刻、人間界に降りていき、仏陀に謁見して仏法を聞いた。その時、仏陀はまさに、四聖諦の法を教導していたが、その聞法の後、沙門天子は、入流道智(Sotāpattimagga-ñāṇa)と入流果智(Sotāpattiphala-ñāṇa)を証悟したのである。

こうした事から、一人の普通弟子が、止観の修習において、非常に精進して、縁摂受智、生滅智または行捨智に到達するならば、彼が、今生において、いまだ、道果を証悟していないとしても、しかし、彼は、彼がすでに完成させた所の修行によって、彼の未来世のどれか一世において、証悟することができる(ものと思われる)。

臨終の時、禅修行者は、強力な止観を擁していないかも知れないが、しかし、止観禅修行の善業は非常に強大であり、善が彼の意門に顕現し、彼は、善相を所縁として死亡することができる。この種の善業によって、彼は必ず善趣に生まれ変わり、かつ、そこにおいて涅槃を証悟することができる。

しかしながら、若し、彼が、観の修習を、臨死速行(maraṇāsanna-javana)の刹那まで続けることができるならば、彼は、先ほど、我々が説明した所の、《入耳経》の中に出てくる、一番目の人間になる事ができる。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>