南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳『親知実見』#51-18

これは、真実語の宣言である。この真実語の宣言によって、ウェーサリー城のすべての居住民は、危難<注30>から脱出することができた。

阿羅漢の布施は、最も殊勝である。というのも、それはどの様な未来の果報をも生じることがないが故に。

未来がなく、生、老、病、死がない時、それは最も殊勝である。

これが、今回、一番最初に開示(講話)した時に言及した所の、二番目の布施である:果報なく、結果が生じない布施。

しかしながら、上に述べた一番目の布施、すなわち、果報を生じる布施、例えば人々に楽しさを齎したり、天の楽しさ、または梵天の楽しさを齎すものには、依然として苦が存在する。

最低限の苦とは、施主は、依然として、生、老、病、死に出会わなければならない。もし、施主が、依然として、欲楽の対象、それが生命のあるものであっても、無生命のものであっても、それらに執着するならば、これらの対象が破壊されたり、死亡した時、彼は、愁、悲、苦、憂、悩に巻き込まれることになる。

この問題について考えて頂きたい:

ある種の布施が、生、老、病、死、愁、悲、苦、憂、悩を齎す時、我々は、それを殊勝である、と言えるかどうか?

また、この問題について考えて頂きたい:ある種の布施は、如何なるk法も生じることがなく、生なく、老なく、病なく、死なく、愁なく、悲なく、苦なく、憂なく、悩がない時、我々は、それを殊勝でないと、言えるであろうか?

これが、なぜ、仏陀が二番目の布施を最も殊勝であると、讃嘆する原因である。

今、あなた方は、開示の始めに、我々が言及した二種類の布施の意味を理解できたと思う。

1)大果報のある布施。

2)果報のない布施。

あなたは、どの種類の布施を好むであろうか?

今、あなた方は、答えを得た。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>