如何にして最も殊勝な布施を実践するか
しかし、もし、施主が阿羅漢でない時、彼は、どの様にして、二番目の布施を行うことができるであろうか?
上に述べた《六支布施経》の中において、仏陀は、二種類の方式でもって、この種の布施を実践することが出来る、と教導した:
受者が、すでに、貪、瞋、痴を断じ除いているか、または、まさに貪、瞋、痴を断じ除く為に尽力しているか。もし、施主もまた、貪、瞋、痴を断じ除く為に尽力していて、布施の時に、観の修習をするならば、あなたは、この種の布施もまた、最も殊勝な布施で有る、と言える。
観の修習とはすなわち:<注431>
彼は、己自身の名色法を識別し、かつ、それらの無常(anicca)・苦(dukkha)・無我(anatta)の本質を観照する;
彼は、外在の名色法の無常・苦・無我の本質を観照する。特に受者の名色法を;
彼は、布施のしなものの究極色法の無常・苦・無我の本質を観照する;
彼は、布施の時に生起した所の、善名法の無常・苦・無我の本質を観照する。
彼が布施のしなものの中の四界を観照する時、簡単に、色聚を見ることができる。これらの色聚を分析する時、彼は、八種類の色法、すなわち、地界、水界、火界、風界、色彩、匂い、味と食素(栄養素)を識別することができる。
これらの色聚は、一代一代ごとの時節生色(utujarūpa)であり、一粒一粒ごとの色聚の中の火界によって生じるものである。<注432>。次に、あなたは、それらの無常・苦・無我の本質を観照する。もし、施主が、この種の観智を修習することができるならば、布施を実践する時に、彼の貪、瞋、痴は、鎮伏されるが、その時、この種の布施は、通常は、果報を生じることがない。<注433>。
この様であるが故に、我々は、この種の布施もまた最も殊勝である、と言うのである。