僧人は、非常に多くの、戒律を修し、持する機会を有している。
輪廻に沈潜する過患と、涅槃の殊勝を見て、”家” とは、修法の障碍となるものであり、煩悩が生じ、増殖する港湾であり、出家こそが、法の修習にとって利益あるものと認識され、智者は、決然として、父母、兄弟姉妹、友人、親戚と彼らの財産から離れ、家のない生活を送る。
まさに、次の偈頌の如くに:
”Sambādho gharāvāso rajāpatho
abbhokāso pabbajjā.”
”居家は障碍であり、そこは狭くて塵灰が舞う。
出家は、広くて大きな天地を擁する(のと同じ)”。
(6-5につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>