身体の横または後ろ側に出現する光は、禅相ではない。
禅相は、呼吸と共に生じ、呼吸と共にあるものである。
もし、光が呼吸から非常に遠い時、それは禅相ではありえず、純粋に、ただの光である。
禅相は、必ず呼吸と結合していなければならず、必ず鼻孔から出てくるものでなければならない。
非常に寒い場所で法話をする時、口から煙が出るが、これは、ちょうど、あなたが見ている禅相と似ている。
鼻孔の下部から、一塊の煙が出る様であって、初めてそれは、100% 標準の禅相であると言える。
煙は、鼻から出たばかりの時は灰色で、さらに専注し続けていると、白色に変化するが、これを取相と言う。
更に定力を高めて、所縁に専注していると、心が専注すればするほど、白色は、透明を帯びてくる。
それはダイヤモンドの様であり、明けの明星の様に光輝いており、これを似相と言う。
これこそが、安般念において必要としている所縁であり、ジャーナ心が必ず取るべき所縁でもある。
(3-110につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>