Parashraama様のコメントへのお返事
本日、私のブログ『覚知、念と定』(翻訳文)を読まれました Parashraama様 より、以下の様なご指摘がありました。
【文中に出てくる <ekaggata>は <一境性>と訳されていますが、gata は、行く、などの意味が含まれますので、云々。】(全文は、該当するコメント欄<2018年4月9日のブログ下部>に、UPしておきました)。。
私は、日本語と中国語のバイリンガルでありまして、主に、テーラワーダ系列の、中国語で書かれた仏教書を、
日本語に翻訳して、ブログ上に公開している者です。
パーリ語は、許教授主宰の【台北パーリ語教室】において、入門者向けの基本は習いましたが、他人に文法を解説したり、パーリ語を縦横無尽に駆使して、文章を書いたりする事は、できません。
中国語から訳出された日本語には、100%、責任を持ちますが、パーリ語に関する解説は、私の守備範囲を超えています(中国語仏教書に、パーリ語が混ざっており、それが明らかに誤植の場合で、私でも分かるレベルのもの、例えば <dhamma> を <damma> としている等の場合は、<注意書き> を添える事はします)。。
中国語原文に、<一境性(ekaggata)>とあれば、
日本語で、<一境性(ekaggata)>と翻訳します。ekaggata の gata が 文法上、どの様な役割を持っているか、パーリ語の学者ではない私が、解説する事はありません。
パーリ語を探求するのがお好きな方は、ぜひとも、インド哲学科を持つ大学の、パーリ語講座に、お問合せ下さい。
ご成功を祈ります。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>