翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(4-15)(私家版)
「あっ、小鳥とはこの様なものか!
翼があり、空で飛ぶことができる。」
次に鳥を体験した時、すなわち、同じ目標を、再度、体験する時、想が、再び生起する:
「あっ、(前に見たのと)同じ様だな!
これは、小鳥だ!」
まさに想が原因で、赤子は、パパとママを認識する事ができ、姉をパパとは呼ばないし、妹をママと呼ぶこともない。
というのも、想が、(目標を見た、その)一回目の時に、すでに、パパの特徴を標したが故に。
次にパパを見た時、想がまた生起して、(自分が)見ている相手は、パパである事を、認識する事ができるのである。
故に、想の現起(現象)は、(目標を見た、その)一回目の時において、すでに会得しておいた、相手の表面上の特徴を通して、目標を分析する事にある、と言える。
(4-16につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>