1952年、私が、三才になったある日の事。
私は心の中で「あっ」と小さく声を上げました。
「自分は輪廻している!」
と気が付いたのです。
「前世は男性だった。今世は、なぜか女の子になっている」
「どうしよう。困ったな。女の子って、どう振る舞うのだろうか?
可愛くなよなよと、男に媚びて生きるの?
私に、できるだろうか?困ったなぁ」
「輪廻しているという事は、父も母も、今は、臨時に集まって家庭を作っているだけ。」
「20年もしないで、この家庭は崩壊するから、父母の名前を覚えるのは、無駄な様に思うけれど、社会に出たら、父母の名前を言わねばならない場面に遭遇するに違いないから、やっぱり覚えておこう」
そんな事を思ったものです。
随分おませな考えで、
【三才の子供がそんな事考えるはずがない】
と思う方がいるかも知れませんが、輪廻しているという事は、私はその時、三才ではないのですよね。
禅宗で、「あなたは何歳か?」
と聞かれた禅僧が
「仏陀と同じ歳」
と答える場面がありますが、まぁ、そういう事です。
1999年に、パオ・セヤドーの著書『智慧之光』に出会って以来、パオメソッド、アビダンマの本を、休みなく翻訳して、WEB上に、UPし続けているのは、他でもなく、恐怖に震えていた、三才の私への、贈り物なのです。
「怖がらなくてもいいよ」。
「ゴータマ仏陀が、輪廻から抜け出す道を教えてくれてあるからね」
「光に向かって走りなさい」
と、私は、三才の自分に、励ましの声を、かけ続けている、という訳です。
私も今年73才ですから、後、何年、生きれるでしょうか?
翻訳された仏教書の数々は、死に行く、私への遺言でもあります。
また、弱肉強食の世界に生まれて、疲れ果て、恐怖に打ち震える人々、生きる事に、日々倦む人々への、応援歌でもあります。
小学三年生の時に、地理の時間に、游仁淑老師(先生)が黒板に『緬甸』と書いたら、ピカッと、黒板が光ったのですね(先生は天津から日本に来た方で、日本語が出来ないので、小さい子供に、平気で、難解漢字を教えるのです。中華学校(注1)は、日本の文部省の管轄外で、カリキュラムは学校独自のものを採用しています。宿題は、ドリル一枚などという、生易しいものではなく、<魯迅の文学作品「故郷」丸暗記>です~笑)
黒板が光るのを見て、私は
「大きくなったら緬甸に行こう、緬甸が呼んでいる」
と思いましたが、それは50歳になってから、パオ森林僧院に修行に行く、という形で、ようやく実現しました。
人生は不思議ですが、素粒子物理学の学者がいうには
「素粒子の振る舞いを人間の言葉で記述する事はできない。」
「私は、研究の成果を、書いて発表しなければならない立場にあるため、仕方なく、多くの比喩を用いて説明する事にしている」
人生は非常に不思議なもので、人間の知性と理性だけでは、説明できないものの様です(鈴木大拙は、<悟性>の重要性を主張した様に思います)。
有為の苦海に、生まれ合わせた人々が、みな、幸せであります様に。
注1=華僑の子弟が通う為に設立された、神戸にある、インターナショナルスクール。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>