16.慚/17.愧:ジャーナを証した時、すでに慚愧は存在する。それらは、悪をなさないという、一種の心の状態である。。 18.無貪:安般念似相をば、己のものであると執着しないこと。シャーリプトラ尊者は、初禅、ニ禅、三禅、四禅に入り、その後出定すると、顔が輝いていて、それを見て、アーナンダが「尊者、あなたは出定すると、顔が輝いている」と言った所、シャーリプトラ尊者は以下の様に答えた 「私が初禅、ニ禅、三禅、四禅に入っているとき、【私】という意識はない。」 彼の心は、ジャーナに対して、私のものである、との思いは持たないのである。