2023-03-19 翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(18ー7)(私家版) 受は因縁の法である。それは「触」を因として生起する。 故に、受は、根本的に元々から、我、我のものではないのである。 この様に知るならば、我執を放下することができる。。。 受を我、我のものと思う時、我執は生じる。