故に、生きている間の、種々の挫折や浮き沈みには、心が一切を、決める事ができる。。。 もしあなたが、予想外の怪我や病、又不公平な境遇などに遭遇した時、あなたが種々の憂具瞋恚相応無行一心、又は有行一心などを生起するならば、既成の事実を改変する事が出来ないだけでなく、己自身に対して、非常に多くの不善心、不善業を成す事になる。。。 奮闘努力する事、如実に知見する事、これは己の業であると知る事、それを受け入れる事。今回債務返済しておかねば、どのみち、将来どこかで取り立てられる。ゆっくりと返済していけば、やがて業の力も緩くなって来る。。。。。。 もし、この様に考える事ができるならば、心の中には、智と相応する善心が生起する。善心は健康的な色聚を生む事ができる為、これらの色聚が、あなたを支援して、あなたをして再度、前を向かせてくれる。。。 柳暗花明又一村、人生での浮き沈みは、笑って見送れば良い! 余り執着しない事。何度も執着するならば、それは第二の矢となる。。。。。 最初の矢で身体が痛み、ニの矢で心が痛む。身体の痛みは誰にもある。仏陀も、腰痛、頭痛があったが、聖者は身体が痛くても、心は痛まない。。。。。 又は、病身の痛みから生まれる苦受を観じ、この苦受は無常であり、因・縁の法であると観ずる。その時、智相応の心が生起する。。。。。。。 心生色は非常に重要である。(何事も)心が主導するが故に。