Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(62ー6)(私家版)

この様な状況に遭遇する時、ただもう一度、正念を取り戻しさえすれば、有分から抜け出す事ができる。あの幽玄さに執着しない事。ある種の人々は、己の価値を高く評価して、この心境は涅槃であるとして執着する。あなたが、その境地に入りたいと願い続けていると、禅の修行は退化する。有分心は果報心であり、故に善心ではなく、不善心でもない。しかし、あなたがそれに執着するならば、それは不善心である。持戒清浄の人は、持戒による業力を保つ為に、臨終の時、もしこの業が熟したならば、彼は人間に生まれる事ができる。その時彼は「深い色彩」の「趣相」を見る。この相は、過去の持戒の業から生起するもので、その一刻において、次の一世の結生を生じる。臨終速行心と一般的な速行心は異なる。臨終速行心は、過去の令生業がまさにその果報を生じんとする時の管道となるものであり、業の成分を持たない。その他の欲界速行は皆、業の成分を擁するが…。臨終速行心が「深い色彩」の「趣相」を取った後、死亡識が死亡の作用を果たす、と、言う事になる。その後、人は死亡・往生する。次に引き続き、結生識が、母胎の中において生起する。30個の色法は、それぞれ、性根10法聚、身10法聚、心10法聚である。この事は、現代の妊婦が、医学的検査を通して、胎児の性別が判明するかの説明になる。というのも、結生のその瞬間、性根がすでに生じているからである。心所に関しては、以下の章にて説明する。結生識に33個の心所、30個の色法を加えれば、所謂「人間」になる。実は「人間」とは一つの概念に過ぎない。実際に存在しているのは、心識、心所と色法だけである。