Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(62ー5)(私家版)

次に、心が有分に落ち込む場合の心境を説明する。。。。。。。                                       我々が禅の修行をする時、ある時は心は落ち着いており、定力が非常に良い。しかし、突然、心は非常に幽玄な、静かな心境に落ち込む事がある。。。。。。。          それはあたかも、何もかも知らない、業処(例えば安般念)まで忘れてしまう様な風である。。。。。。                   実際は、その時点で、心は既に有分に落ちているのである。。。。。。            どうしてあなたは、何もかも知らないでいる風になるのか?というのもそれは、有分は前の一世の所縁を縁に取る為であり、そしてあなたは、前の一世の所縁を確認する事ができない。その為に、あなたは何もかも知らないでいる風になる。。。      その時点では、ただ有分心の生・滅のみが発生しており、あなたは正念を失念しているのである!               呼吸(の観察)を忘れて、心は有分に落ち込んでいる。。。             多くの人はこの法義を知らない。私はアメリカで、禅の修行を指導する一人の老師に出逢ったが、同じくこの様な問題に遭遇した。彼は毎回、ある段階まて修行すると、彼の心は非常に静寂な心境に入る。。。   しかし、非常に静寂である以外、如何なる所縁も認識する事ができない。彼は出会えるすべての教師に質問したが、彼に適切な回答の出来る人はいなかったのである。。。。。。               彼が私と、この問題について討論している時、私は答えた:「あなたは有分に落ちているのです!」               その後に、心の(働きの)全体の過程を説明すると、彼は忽然と、己に起きている事柄を、理解したのである。