南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(92ー1/2)(私家版)

■縁於取、有生起(取の縁によりて有が生起する)。有は、二種類に分けられる。    1.業有:思が即ち業である。合計29個の善と不善業がある。12個の不善心、8個の欲界善心、5個の色界善心、4個の無色界善心。業とは、29種の善と不善の思、又は一切の、新しい一世を生じる事の出来る善と不善業を言う。。。     2.生有:これは、業力が形成する所の、蘊である。業力によって形成された欲界5蘊、色界5蘊、無色界4蘊及び一蘊(無想有情天は、色蘊しかない。)。無色界の衆生は、無想有情天以外、皆4個の名蘊がある。生有とは、32種の果報心及び相応の心所及び業生色を言う。。。。      32個の果報心は:8個の大果報心、5個の色界広大果報心、4個の無色界広大果報心、7個の無因不善果報心、8個の無因果報善心。4個の出世間果報心は、輪廻の果報を増加させる事がない為、故に、ここには含まれない。36個の果報心から4個の出世間果報心を引くと、残りの、32個の果報心が、生有と言う事になる。。。。  取は、業有の縁である。取の影響の下、人は初めて行動を起こし、業を累積する。取も又生有の縁である。というのも、取は、人をして、造した(なした)所の業に基づいて、生死輪廻を繰り返す故。。     我々は既に「縁於無明、行生起」、「縁於取、有生起」を学んだ。「行」と「有」は同じ一つの意味であり、二者の違いは、それぞれ:「行」は過去世と関係があり、「有」は、現在世と関係がある、と言う事である。