Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(89ー4/5)(私家版)

もう一つ例を上げる。と殺業を営んでいる人が臨終の時に、己が豚を殺している様なイメージを見たとする。これは業であり、業相ではない(もし、ナイフが見えてたならぱ、業相である。)。業とは通常は、意門心路過程であり、意門心路過程と眼門(5門)心路過程は異なるものである。。先に有分心が生起し、次に意門転向(5門転向、領受、推度はない)、その後に5個の速行心、2個の彼所縁(ある時は生起し、ある時は生起しない)、有分心(ある時は生起し、ある時は生起しない)、次に死亡識が生起する。臨終速行が豚を殺す業を所縁として取り、間を置かず結生心が生起する(結生心は豚を殺す者の不善業の果報)のであり、故に結生心は同じ業(と殺の業)を所縁として取る。結生心は果報心であり、悪趣地無因捨推度心であり、行の結果でもあり、過去の不善業が縁になっているものである。。。           もう一つ例を上げる。禅の修行者が、臨終の時に、ジャーナに入れるとすると、その時、安般念似相を所縁に取って初禅に入る。その後に往生する。往生する前、意門心路過程か必ず生起する(修行による禅相は全て意門であり、5門ではない)。先に有分心が生起し、その後に意門転向、次に5個の速行心ーー似相を所縁に取る(この似相は業相である)。5個の速行心の後は死亡識で、死亡識が過ぎた後、この一期の生命は終わる。その後、新しい一生の結生心が又は始まる。結生心は、安般念の似相(業相)を所縁に取り、色界初禅果報心として、色界初禅天に生まれる。結生識が過ぎた後、16個の有分心が生起し、同一の似相(業相)を所縁として取る。その後、一番目の意門心路過程が生起し、次に心路は生滅、生滅……し、最後の一刻になると、この梵天神は死亡する。